三輪山のあけぼの
ご神体山 三輪山 (奈良県桜井市)

◆ヤマト王権誕生と卑弥呼とは―――20170525-052

 「邪馬台国」の畿内説や九州説の論争は江戸時代の新井白石から始まったといわれる。

 鈴木靖民氏の「倭国のあり様と王権の成り立ち―三世紀を中心として」は卑弥呼の倭王権が邪馬台国女王を頂点とする重層的なピラミッド階層社会であったこと、内外の交易物資や情報、人の集積と再分配が、王権主導の集権的でシステマティックな方式で達成されていた事に注目する。とくに、「倭国乱」をめぐる鉄の入手や流通の実態解明は王権成立事情のカギになることを強調する。

 寺澤薫氏の「王権はいかにして誕生したか」は、北部九州では早くも紀元前に産声を上げた部族的国家こそが国家の端緒であり、次いで二世紀の伊都国連合を核としたイト倭国→倭国乱(二世紀末)→三世紀初めの卑弥呼共立=倭国の新生=ヤマト(纏向)王権の誕生というプロセスを提示する。三世紀のヤマト王権の誕生は「王国」段階の出発点と見る。
森の木漏れ日


 戦後の騎馬民族征服王朝説(江上波夫氏)という突飛なモノもあったが、日本国家の起源は国内外の歴史資料を断片的ながら色々紐解いて行くにつれ、好奇心がムラムラと湧いてくるのが面白い。考古学上の新たな発見により通説が覆る場合もあり、興味津々で注目する場合もあって面白いのだ。

 日本の人々の「和」の習慣・習性は古代からDNAに組み込まれているといえる。何故か英訳出来ない(ハーモニーでもない )と言われるが、日本人は「心の民」とも言われる。人間は(西洋的)「理性」のみではなく「感性」も同時に必要不可欠であると日本人は古代より理解していたのであろう。また、日本は心で創る匠の国でもあることを忘れてはならないと思う。日本が守り続けているアイデンティティを失わない内に、今のグローバリズムからは早く脱出しなければならないと思う。我々は気付かなくとも・・只今「有事」に生きているという事である。

 五世紀前後の渡来系の技術者の活躍・文明文化への貢献にも興味を持ち始めている。
2017-05-17 001 017


 「呪術」という言葉は、民間信仰的な「呪術」(アニミズムやシャーマニズム)から、制度化された「宗教」(キリスト教をはじめ仏教やイスラム教)へと人間の信仰も発展するという進化論の時代に生まれた概念である。

 邪馬台国研究では卑弥呼の「鬼道」が呪術として論及される事も少なくないが、この「呪術」という概念には宗教より劣ったものという価値評価が多分に含まれている。こうした価値観は戦後日本の歴史学に多大な影響を与えたマルクス主義者=フリ―ドリッヒ・エンゲルスの「家族・私有財産及び国家の起源」で描かれた『未開』から『文明』へという図式と見事に呼応するのだ。

 現代の宗教学ではキリスト教(中心 )に収斂(シュウレン:まとめること。集約。収束。)するような一系的な進化論の含意をこの用語から除去すべく試みられてきたが、それでもこうした評価を完全に取り除くことは、日本の研究者にしても西洋的な教育システムの下に育ってきたが故に容易なことではないと言える。

 日本の「神道」は、当初「神教」といった用語も見られたが、宗教ではなく「道徳」の一種として分類されている始末である。欧化主義者たちは「宗教」になる事の出来なかった未開社会の残滓(ザンシ)であると批判しているのだ。以上の短い説明からも、卑弥呼の鬼道が「呪術」と名付けられた事が、暗黙裡にどのような意味を帯びるのか、その経緯が理解された事と思われる。いまだ信奉される近代白人植民地主義とは無縁とは言い難い状況ではある。
2017-05-17 001 039


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