2017-09-28 001 034

◆古代史【龍蛇神と牡牛神】 ――――2018-03-12-378


●<龍蛇神と牡牛神>

「神」、すなわち、「ヤハウェ」ないし「国常立尊(クニトコタチノミコト※!)」とは何者なのか?反対に、「悪魔」とその正体を知るために、世界の宗教ないし民族のシンボル(トーテム)を探ってみます。

世界の宗教ないし民族のシンボルは、大きく分けて竜と蛇をモチーフにした「龍蛇神」と、牛(牡牛)をモチーフにした「牡牛神」に分けられる。龍や蛇は自然の力の象徴であり、川、海、雷など水にまつわる自然現象と関係する。つまり、水という神の力を信じる心性とつながっている。

一方、牡牛神にいう牛は、自然をコントロールすることの象徴だとされ、これは牛が家畜という”使役動物”であることに関係している。古代トルコの騎馬民族ヒッタイトやペルシャでは「契約の神・ミトラ信仰」という形で浸透した。

では、ヤハウェはどちらなのかだが、旧約聖書では、「モーゼが「炎の蛇」を青銅で作り、それを見ることで民は救われた」とあることから、初期ユダヤ教では蛇神であったとみられる。

ところが、新バビロニア王国に捕囚されていたユダヤ人たちを、アケメネス朝ペルシャが解放したことから、ペルシャ人の信仰がヤハウエ信仰に融合し、これを機にヤハウエは「龍蛇・牡牛融合神」となった。

更に、ユダヤ教は「ミトラ信仰」(※2)から生まれた「ゾロアスター教」(拝火教※3)の「善悪二元論」と「終末思想」「メシア思想」の影響もうけ、「ユダヤ教パリサイ派」が生まれ、それが発展したのが「キリスト教」である。その結果、イエス・キリストも”龍蛇牡牛融合神”となったのである。

蛇は地面の巣穴にもぐり、再びそこから現れる習性から、世界各地で不死や復活の象徴とされたのである。一方で、新約聖書では、7つの頭を持つ龍が7つの頭を持つ獣と向かい合っている象徴的な場面が描かれているのはその証拠と言えよう。


【 解説 】

※!―国常立尊(クニトコタチノミコト)―
  記・紀にみえる神。
  天地創成神話の国土神の最初の神。「日本書紀」によると,天地がわかれはじめたとき第一にあらわれた
  とされ,国底立尊ともいう。「古事記」では国之常立神(くにのとこたちのかみ)といい,天津神(あまつかみ)の
  うちでも特別にあつかわれている5柱の神の次に登場する。  


※2―ミトラ信仰」―
  ・サウラ派~
  グプタ朝の頃からインドに広まったヒンドゥー教の一派。その信徒は太陽神スーリヤを最高神として崇拝す
  る。太陽を崇拝する宗派の存在はすでに叙事詩『マハーバーラタ』に出る。イランのミトラ信仰の影響によ
  り成立したもので太陽神の祭官はマガ Maga 、日本には祭事等に少なからず影響を与えていたとみられ
  る。( ...ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)


※3―ゾロアスター教(拝火教)―

●ゾロアスター教~

  古代イラン(ペルシア人)のゾロアスターが創始した宗教で、アフラ=マズダ(アフラは神、マズダは知恵の
  意味もある)であり、信者はその象徴の火を崇拝する。また破壊と暗黒の神である悪神アーリマンとの抗
  争とみる二元論的世界観が特徴となっている。現在はほぼ影響力を失っているが、かつては広く西アジア
  に広がり、イラン文明にとどまらず、世界史的に重要な諸影響を周辺文明に与えた宗教であった。特に唐
  の都長安では祅教(拝火教とも)と言われたことはよく知られている。

  また、宗祖ゾロアスターは特にニーチェがその名をして自己の理念を吐露したことなどから関心が高い。し
  かし、何か特異な呪術的で魔術的な宗教というイメージも強く、一部で強調される日本の飛鳥文化との類
  似性などから、興味本位でとらえられることもある。高校生の学ぶ世界史でよくとりあげられるにもかかわ
  らず、その実態、実像が知られていない、そしで誤解の多い事項なのではないだろうか。そこで管見の及
  ぶ限り学ぶことのできた要点を示しておく。

●成立時期と背景~ 

  その成立年代と時期については幅広い見解があり、ゾロアスター(ザラスシュトラ=スピターマ)は実在の
  人物とされているものの紀元前1200年頃から前1000年頃に遡らせる説から、前7世紀頃と限定する説が
  あり、その活躍場所もイラン高原西部(メディア)説から、バクトリア(ほぼ現在のアフガニスタン)説などが
  あって幅広い。いずれにせよ、ゾロアスターの活動時期、場所についてはいまだに決着はついていない事
  項である(ということは受験で問われることはないはずなので、ご安心を)。

●創始者~ 

  ゾロアスター ゾロアスター(ツァラトゥストラ)は正しくはザラスシュトラ=スピターマという実在の人。日本
  における古代イラン学の権威で『アヴェスター』の翻訳などで知られる伊藤義教氏は、その活躍時期を、ゾ
  ロアスターの教えに帰依し、彼を保護し、教団発展の契機となったウィシュタースパ王をアケメネス朝ペル
  シアのダレイオス大王の父ヒュスタスペスと考え、ゾロアスターを前630年に生まれた、と絞り込んでいる。
  とするとその活動時期は前7世紀末から前6世紀ごろ、となる。<伊藤義教訳『アヴェスター』1967 ちく
  ま学芸文庫版 2012 p.231/前田耕作『宗祖ゾロアスター』1997 ちくま学芸文庫版>

  一方で、ゾロアスター研究の世界的権威とされるメアリー=ボイスは次のように述べている。

  (引用)ゾロアスター教は、啓示によって開かれた世界宗教の最古のものであって、直接的にも間接的にも
  他のどの宗教よりも人類に大きな影響を与えてきた。ゾロアスター教という宗教は、紀元前6世紀から紀
  元後7世紀までほぼ継続的に中近東の大半の地域を支配して栄えたイランの三つの帝国の国教であっ
  た。

  その帝国の権力と富のおかげで、この宗教は大きな権威をもったので、その主要な教義のなかには、一
  群のグノーシス派信仰ばかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にもとり入れられたものがあった
  し、東方においては北伝仏教の発展にも影響を与えた。今日では外部的な要因から、ゾロアスター教徒
  は、各地に分散した少数民となり、主としてイランとインドに住んでいる。しかし、最初に預言者ゾロアスタ
  ーが説いた教えは、いまも全世界の他の宗教徒に守り継がれているのである。<メアリー=ボイス/山本
  由美子訳『ゾロアスター教』2010 講談社学術文庫 p.27>

  とした上で、ゾロアスターの生涯について確実な年代を決定することは不可能としながら、言語学と考古学
  の知見から、次のように年代と場所を推定している。彼が使った「古アヴェスタ語」にきわめて近いヴェー
  ダ語の最も古い『リグ=ヴェーダ』の正確な年代が前1500年頃であり、アヴェスタ語の発展はもっとゆっく
  りとしていて、「古アヴェスタ語」は前1200年、「後期アヴェスタ語」は前800年頃とされる。考古学の発見物
  からイラン人が現在のイランに移動したのは前1000年頃だとすれば、ゾロアスターの生存年は前1200年
  頃とすることで、彼はイラン人のイランへの移動の前に、内陸アジアの草原地帯のどこかに生きた人であ
  るといえるだろう。<M=ボイス『同上』 p.12>

  なお、ゾロアスター教成立の契機となったウィシュタースパ王については、この王と同名の名の王が、前
  1200年代に存在したとして、ゾロアスターの活躍時期をそこまで遡らせる説が補強されている。それによ
  れば、ウィシュタースパ王はイラン高原東北のバルフ近郊の地方君主のひとりであった。現在はこちらの
  方がどうやら有力になっているようだが、いずれにせよ、ゾロアスターの生存年代と活動場所の正確なとこ
  ろは不明というしかなさそうだ。<青木健『ゾロアスター教』2008 講談社選書メチエ/山本由美子『マニ
  教とゾロアスター教』1998 世界史リブレット p.13>

  また、ゾロアスター教をインドに入ったインド=ヨーロッパ語族のアーリヤ人の諸宗教(ミトラ教など)の一つ
  として捉え、ヴェーダやバラモン教との近親性を重視する考えがある。それによれば、他のアーリヤ人と同
  じく自然崇拝の多神教で、部族ごとのさまざまな神々を崇拝する密議や呪術が行われていたイラン人が、
  前2000年から1500年ごろにかけて鉄器と騎馬術を身につけて急速に旧来の部族的な秩序が崩れて
  混迷するなか、前1200年ごろに現れたゾロアスターが宗教改革に立ち上がったということになる。

●ゾロアスターの宗教改革~

  ゾロアスターは人間の正しい生き方をもとめ、従来の宗教を堕落した形だけの祭祀に過ぎないとして批判
  する宗教改革を開始し、唯一の真理であり光明である創造神アフラ=マズダに従って正義と秩序を実現
  し、それに敵対する闇と悪の霊力を持つアーリマンと戦うことを説き、ゾロアスター教を創始した。一人の
  教祖が、神の啓示を受けて創始し、啓典(神が示した聖典)を持つ宗教を啓示宗教という事とすれば、ゾロ
  アスター教は世界で最初の啓示宗教であった、と言うことができる。(イスラーム教徒は、ユダヤ教徒とキ
  リスト教徒を「啓典の民」と認め、ゾロアスター教徒もそれに準じた。)

  神の啓示を受けたゾロアスターの言葉を直接知ることができるのが、現在伝えられているアヴェスターの
  中で、古アヴェスター語で書かれた詩編であるガーサーである。ガーサーで伝えられているゾロアスターの
  教えは、古いイラン人の信仰を否定し、新たな宗教を創始する、一種の宗教改革だった。ガーサーに見る
  その輪郭は次のようなものである。<前田耕作『宗祖ゾロアスター』1997 ちくま学芸文庫版 p.163-
  165>

・第一は、邪悪な偽りの神々(デーウ)への祭祀である、牛を屠り飲酒をする(ハオマ)ことを禁止した。

・第二は、アフラ=マズダを唯一の最高神としてその分神(大天使)とともに敬うこと。

・第三は、アフラ=マズダを双生の対立する二神、スプンタ=マンユ(聖霊)とアンラ=マンユ(破壊霊)のうち、前者の父としたこと。人間はそのいずれかを二霊にならって選び取る。二元論を一神論に切り替えるのは選取するものの意思なのである。

・第四は、人間は死ぬと、その魂は正義と不義のどちらを選び取って生きたかを調べられる「検別者の橋」へと送られる。

・第五は、やがてダエーワ(偽りの神々)は打ち負かされ、救世主サオシュヤントが現れ、最後の審判の後許されたもののみが生まれ変わった新しい世界で、勝利したアフラ=マズダが輝く。

この一種の宗教改革により、イラン社会に高度な倫理性がもたらされ、その象徴として火を崇拝する儀式を守る祭司団が成立し、前1200年代から前7世紀頃までの長い経緯のなかで原始ゾロアスター教団が形成されていった、と考えられている。ただ、ゾロアスター自身がアケメネス朝時代を通じてギリシアにも知られる過程で魔術的な司祭として伝えられ、それがその後もルネサンス時代や近代にいたるまでの誤ったゾロアスター像となってしまい、さらにゾロアスター教団そのものがササン朝ペルシアの滅亡に伴ってイランでは消滅したため、その実態が茫漠とした過去に取り残されてしまった、といえる。

ゾロアスター教の教義 ゾロアスター教は、基本的には光明神(善神)であるアフラ=マズダを最高神とする一神教である。また、偶像ではなく、火を最高神の神聖な象徴として崇拝するので拝火教とも言われる。しかし、光明神アフラ=マズダににたいして常に敵対する暗黒神(悪神)であるアーリマン(アヴェスター語ではアンラ=マンユ)が存在するとし、この二神から派生するさまざまな霊が存在すると説くので、一見、多神教のようにも見える。またゾロアスター教では昼と夜の交替などもこの二神の抗争として捉え、やがて終末には救世主(サオシュヤントという)が現れて最後の審判が下され、アーリマンは打ち負かされるとする。そのような世界観はその後のユダヤ教やキリスト教などの一神教に影響を与えたと考えられている。

ゾロアスター教の儀礼 ゾロアスター教の祭司はアフラ=マズダに従う信仰告白、祈祷を行い、光明の象徴として火を絶やさずにさまざまな儀礼を守り、アーリマンによって穢されたものを浄めなければならなかった。その浄・浮上の観念はイラン人の長い遊牧生活の伝統からうまれたもので、不浄なものを浄めるのに牛の尿が用いられたり、さそり、蜂、蛙は不潔な存在なのでそれらを殺すことは悪を減少させることとして奨励されている。<M=ボイス『同上』 p.100>

アケメネス朝ペルシア帝国 ゾロアスター教はアッシリア帝国滅亡後にイラン高原を支配したメディア王国支配下でイラン人のなかで広がり、そのイラン人の建てた国家であるアケメネス朝ペルシアで王たちの保護を受けて発展したが、この段階では国教となったわけではなかった(ただし、メアリー=ボイスはアケメネス朝でも国教であったとしている)。

アレクサンドロスの侵入  アレクサンドロス大王の東方遠征にってアケメネス朝ペルシア帝国が滅亡した際にゾロアスター教の祭司(マギ)が多数殺された。始祖ゾロアスターの言葉は文字ではなく、口承によって伝えられていたので、祭司が殺害されたことはその伝承が途絶えることであり、ゾロアスター教にとっては最大の試練であった。ササン朝に成立したゾロアスター教の文献ではアレクサンドロスは最大級の悪魔として罵られている。

セレウコス朝とパルティア  その後のヘレニズム時代のイランを支配したギリシア系国家セレウコス朝シリアの時代もゾロアスター教にとっては苦難の時期であったと思われるが、ギリシア文化の影響は都市部にとどまり、農村ではゾロアスター教の信仰とその伝統は根強く残った。前3世紀にイラン高原に出現したパルティア(アルサケス朝)はペルシア人の国家であったが、強くヘレニズムの影響を受けていた。

また、継ぎに現れたササン朝が故意にパルティアをイランの正統的な王朝ではないと宣伝したため、パルティアではゾロアスター教が否定されたように説明されることがあったが、パルティア王は自らゾロアスター教徒となることはなかったものの、他の宗教と同じように寛容であり、弾圧するようなことはなかった。むしろ、ゾロアスター教がギリシア的な偶像崇拝などの影響が現れた。それでも次第にイラン文化復興の動きの中で次第に教団としての体制をつくりあげ、次のササン朝時代につながった。

ササン朝での国教化 紀元後3世紀のササン朝ペルシアの初代の王アルデシール1世は、ゾロアスター教を国教とし、自らの正当性の根拠とした。ゾロアスター教はササン朝の帝国支配と結びついて体系化され、イランに広がったが、同時にそのころはイラン高原にキリスト教や仏教の影響も及んできた。それらを採り入れてゾロアスター教との折衷したマニ教が成立すると、次のシャープール1世はその教祖マニ(マーニー)を一時保護した。しかし、ゾロアスター教祭司団の主張によりマニ教は異端として排除された。ゾロアスター教団も教義や教団の整備に迫られ、6世紀のホスロー1世の時に聖典『アヴェスター』が編纂されるなど、国教としての態勢を整えた。

マニ教の派生 ササン朝でゾロアスター教は国教とされたが、同じころ、宗教家マーニーがゾロアスター教とグノーシス的なキリスト教とを混淆させた折衷的なマニ教を興こすと、シャープール1世は一時マニ教を保護したため、ゾロアスター教との宗教対立が起こった。宗権をめぐる対立は、その子ホルミズド1世(在位272~273)がマニ教を宮廷から追放し、マ-ニ-も死に追いやられたためゾロアスター教の優位が復活した。

衰退とイランの「イスラーム」化 7世紀にイスラーム教がイランに進出し、ニハーヴァントの戦いの戦いに敗れたササン朝ペルシア帝国が滅亡したことによって、ゾロアスター教もイラン高原においてはほぼ消滅した。7世紀のイラン人のイスラーム化は、西アジアの歴史的転換を意味した。




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●マイ 鉛筆画作品:(旧作)  http://smcb.jp/_photo_list?pic_album_id=2185722 ―ご高覧下さいませ。―



  【  マイフォト 】
2018-01-23 外鎌山登山

外鎌山(293m:桜井市忍阪)―大和三山等の展望良好!
2018-01-23 002 071

            加太港海岸夕景二月四日
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  加太海岸風景
2017-02-18 001 011

    高見山の樹氷風景

2009-01-01 001 006

           初瀬川(背景には外鎌山)―桜井市

2009-01-01 001 005
        海柘榴市(海石榴市:ツバイチ)古代の国際的な市―奈良県桜井市金屋  

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              大神神社(奈良県桜井市)

2017-10-17 002 012


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☀   雨の日には雨の中を
            風の日には風の中を  
                     歩こう。 ☽

❀  冬の樹氷 春の草花 夏の新緑 秋の紅(黄)葉 
                       四季折々の美しい輝きに癒される。 ❀

 
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《 日誌MEMO(予定&結果・感想等 ) 》 -2018年-

【2月】
2月25日(日)休日。外鎌山Trekking。夕刻仕事。W=  5100歩。☆
2月26日(月)仕事奮励努力。近所Woking=      4500歩。▲ ●受注1件(2月受注=4件有)

2月27日(火)荷受、外鎌山Trekking。夕刻仕事W=   17200歩。☆☆△
2月28日(水)夜雨天、仕事努力。近所Woking=     3800 歩。▲ 
                (※二月は体調普通に戻る、仕事は後半好調に進む。NB学習不調。)
【3月】
3月01日 (木)午前中雨・夕方仕事。近所W =      5000 歩。☆
3月02日 (金)荷受、仕事。近所Woking=      15400 歩。☆☆△●12-1半=収入有(八)
3月03日 (土)仕事奮励努力。近所W=      3900歩。▲
3月04日 (日)休日:Trekking。夕刻仕事。近所W= 9100歩。☆
3月05日 (月)仕事奮励努力。近所W=      3600歩。▲
3月06日(火)荷受、仕事。近所Woking=  16400歩。☆☆
3月07日(水)仕事奮励努力。近所W=      5300歩。☆
3月08日(木)仕事奮励努力。近所W=      4600歩。▲

3月09日(金)荷受、仕事。近所Woking=   12400 歩。☆☆
3月10日 (土)仕事奮励努力。近所W=      5100歩。☆
3月11日 (日)休日:Trekking。夕刻仕事。近所W= 3400歩。▲

3月12日(月)仕事奮励努力。近所W=      歩。
3月13日(火)荷受、仕事。近所Woking=  歩。
3月14日(水)仕事奮励努力。近所W=      歩。
3月15日(木)仕事奮励努力。近所W=      歩。

◆なら山遊会イベントについてー仕事等の都合でしばらくは中止と致しました。^^;再開の節は皆様またご参加宜しくです。※登山イベントアップ再開は事情にて早くて四月以降となります。皆様ご了解下さいませ。



【myPFOTO】

2017-12-10 001 014
(桜井市つば市)
              古代のつば市―桜井市金屋           
2017-09-18 001 011

               飛鳥の里ー棚田風景
2009-01-01 001 021

          大和の夕焼け空―奈良県桜井市三輪山麓より
2018-01-23 002 071

               加太湾の夕景