冬の道―奥の院

                 冬の道―奥の院―高野山
❀TABILOG―散策の旅路―和泉葛城山~丹生都比売(ニウッヒメ)神社への散策 ――――2018-06-10--467
2009-01-19 001 001

 ムラサキシキブ

●世時評-

 昨年末よりトランプ大統領が戦争屋を震え上がらせている様です。シャドー・ガバメントの話は昔から「陰謀論」と言われていた事が全て真実だったようですね~。
 
 麻薬(コカイン)がCIAの資金源で南米からキューバのグアンタナモ基地を経由してアメリカに運ばれる。と言う話がありましたが、世界中で麻薬の売人が逮捕された。と言う話はありますが、麻薬の元売りが逮捕されたという話は聞いた事がありません。

 日本も例外では無く麻薬の元売りの輩は誰なのでしょうか?!六本木ヒルズで死亡した女性の自宅から1Kgのコカイン?が押収されたのに、検視解剖もせずに4日?で火葬された話がありました。麻薬捜査は厚生労働省が行うのですが実際は警察官(刑事クラス?)が行うのでしょう。

 日本の麻薬の元売りは誰なのかな??警察って事が有るのかな?警察権力を増強する様な法律が沢山成立しましたが、日本のシャドー・ガバメントが隠れる壁を厚くする為なのではないでしょうか?と、余計な妄想が膨らみます。

 戦後の電力9社体制と言う戦時特例が今も生きている状況を考えると「日本帝国軍は健在」と言う感じもしないではありません。

 戦時中の大本営発表の新聞は「破棄」されたそうですが、最近の官庁の記録も破棄されているとか?雰囲気として終戦は間近なのか。という感じがしますが、何が印となるのでしょうか。火山の噴火とか地震とかの災害が終戦の宣言になるのでしょうかか?

 東海及び南海トラフの大地震の発生確率が近付いているようですが、大都市圏を含む被害想定が発表されました。なんとその被害額約1,000兆円余りだそうです。古いインフラ改善整備は進んでいるのでしょうか・・。
それとも中央銀行の破綻程度で何とか成るのか?日本は貧乏のどん底へ転落するのでありましょうか。
(http://naoyafujiwara.cocolog-nifty.com/ipodcasting/2018/01/2018124-fc69.html参照・転載)

 
●和泉葛城山~丹生都比売(ニウッヒメ)神社への散策ハイク―
2009-01-19 001 002

             大阪湾を望む―和泉葛城山展望台     
 いつもの慣れ親しむコースですが、橿原市内から便利な「京奈和高速道」(無料)に入り、「かつらぎ西」IC煮ております。下りてから右折し次の信号を左折します。(まっすぐ行くと480号線に合流し干し柿の里方面へ行ける)しばらく蛇行しながら道なりに進むと華岡青洲ゆかりの里に入り信号を越えて上がり小さな「葛城園」の標識を右折します。しばらく行くと山村に入りやや細い道を登って行きます。急こう配の坂道を上がりきると林道に変わり少しずつ山頂が見えるようになり近付きますが、ガードレールのない所もありカーブは対向車には要注意です。

 アンテナ塔が見えるともうすぐで分岐点に差し掛かり左手に駐車場が見えますが、更に斜め左方向へのカーブを上がると山頂の無料駐車場に到着します。トイレや売店(廃業?)があり展望個所も2ヶ所あります。頂上がすぐなので階段を上がると神社が表裏にあります。道路先のコンクリート製の展望台は見晴らしが良く和歌山市内方面や大阪湾が一望できます。快晴の日なら淡路島や神戸方面も観られるかも知れません。ここはお勧めの展望台です。

 神社の北側はブナ林保護区域(大阪府岸和田市)になります。春夏のお花と新緑が清々しく秋の紅葉時季は人気のハイキングコースになっています。大阪側からの登山者やツーリングに来られる方が多いようです。道路沿いに下りて行く途中の五本松辺りには展望レストラン(2F)や産直店(1F)があって土産に血抜きしたシカ肉を買った事がありました。更に下りて行くと高城山(649m)を通過して犬鳴温泉郷に入ります。入口付近の行者の滝も名所で女性のみの体験滝修行(2000円)が出来るそうです。

 今回は五本松から犬鳴き方面には行かず、北道を戻り下りて行き国道24号線へ出て左折します。しばらく進み笠田の交差点を右折し道なりに進み大門口大橋を渡りその道(480号線)を進みます。そして案内標識のある信号交差点を左折して上がって行きます。星山村の先の天野トンネルをくぐり抜けると天野の里になります。長閑な田園風景の中を走り突き当たったところが丹生都比売神社です。正面右手と左奥に無料駐車場とトイレが完備されています。周辺には食堂やカフェレストランが少しあるのみです。正面の一の鳥居から入り太鼓橋を渡ると二の鳥居がありその奥に拝殿があります。世界遺産になり観光客も増えつつあるようですが静寂に佇む神社の風景が好きなので平日にはゆっくりと散策が出来ます。
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                 丹生都比売神社
 この神社の裏からは山道を登って行くと高野山への町石道ルートと合流し「二つ鳥居」に出逢います。少し見晴らしが良く天野の里が展望できます。神社の横には修験者の記念碑や源頼朝の正室の方の庵もあったそうです。池の周辺やその辺りの秋の紅葉は趣がありとても美しいのです。ここもお勧めの空間と言えます。
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                修験者記念碑など-同神社 
2009-01-19 001 020

                 紅葉の季節-同神社  
 この数年、いつも不思議に思っていました・・、「空海はなぜあの地に寺を建てたのだろうか?」と。

 比叡山などは、よく分かりますが高野山は今ひとつピンとこなかったのでした。「丹」の一文字でその理由にたどり着いたのでした。「丹生都比売神社」名前の「丹」は朱砂(辰砂:シンサ )の鉱石から採取される「朱」を意味しているのでした。

 「丹生都比売(ニウツヒメ)神社」は、古代邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載され、その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされています。

 中央構造線の地図を調べてみると紀ノ川沿いにもその地層が通っていました。
中央構造線-紀ノ川沿い(和歌山県)

              中央構造線-紀の川沿い(和歌山県)            
●謎解きのまとめ-

【高野山】
2017-04-10 001 金剛峯寺・高野山

                高野山金剛峯寺-和歌山県
①弘法大師・空海が高野山金剛峯寺を開いたのは、地主神たる「丹生都比売神社」がその神領を譲ったことによると伝えられています。

 丹生都比売大神の御子、高野御子大神は、密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ、高野山へと導きました。弘法大師は、丹生都比売大神よりご神領である高野山を借受け、山上大伽藍に大神の御社を建て守護神として祀り、真言密教の総本山高野山を開きました。(丹生都比売神社HPより抜粋)


②弘法大師ゆかりの寺院(丹生山神宮寺)で「丹生大師」奈良の大仏に渡金するため用いられた水銀は三重県多気郡勢和村丹生付近は辰砂の採掘の中心地で、主にこの地の辰砂から精製された水銀が用いられたようです。

 この地域には,無数の採掘跡だけでなく,地名や神社・寺院などに,丹や水銀にまつわる様々な痕跡が残されており、紀伊半島には,現在でも50以上もの丹生神社が残っています。その丹生の中心に建っているのが、弘法大師ゆかりの寺院(丹生山神宮寺)で「丹生大師」と呼ばれています。


③空海は少年の頃、吉野で修行をしていました。その時に見つけた「平原の幽地」を「高野」と名付けました。大峰奥駈道をたどったのでありました。


④空海は24歳で『聾瞽指帰(ろうこしき)』を完成させ、ここに「日雄」の名が登場します。「我が国の日雄という人は『睡覚記』を著述した」と記されています。「日雄」は離宮と寺院の名前であり、天武天皇によって下賜された姓でもありました。空海の時代、吉野山の日雄寺には日雄を名のる僧が住んでいて、空海はそこで修行に励んだと云われます。


⑤空海は讃岐国(香川県)多 度郡の郡司,佐伯氏の出身です。『常陸国風土記』が「山の佐伯、野の佐伯」は土蜘蛛(国栖:クズ)を指すと述べられています。空海も土蜘蛛(鉱山技術者)の一族であるようです。


⑥金剛峰寺は大水銀鉱脈の上に立地しています。(日雄で鉱脈発見の方法を知ったのでしょうか)空海は留学生として中国に渡った時、20年分の費用を砂金で携えていました。この砂金は、吉野との関わりからだと推測できます。


⑦空海は「佐伯真魚(マオ)」という名前で、真魚とは鯛のこと。この名前からも海人との関係があるのだろうと云われます。(前田良一「役小角」参考)


●【なぜ水銀が必要だったのか?】

⑧「水銀」=「朱」。古代人は、真っ赤な色をよみがえりの色として神聖視していました。古墳の内部を真っ赤に彩色したり、遺骨を赤く塗るのは、死者が蘇るのを願ったからであるようです。

⑨「朱色」は、歴史的に中国では高貴さの象徴とされ、歳月によって変色や消滅しないため黄金の不変色と同様、不老不死を希求する人たちに瑞祥の色として愛用されました。

⑩朱の色は自然界の「辰砂:シンサ」(硫化水銀)によるものであり、古代の宮殿や神社仏閣に多く用いられ、魔力に対抗する色ともされていて、朱の原材料は水銀=丹なのでした。

⑪これは昔から木材の防腐剤としても使われてきました。朱色は生命の躍動を現すとともに、古来災厄を防ぐ色としても重視されてきました。このため古くは御殿や神社の社殿などに多く用いられており、稲荷神社の鳥居の朱色もこの影響でした。

空海=丹=水銀⇒朱
稲荷=多宝塔⇒朱
海人=修験道=山伏⇒朱

やはり「朱」の「丹生都比売神社」丹生氏(族)がその神領を譲ったのでした。



⑫谷有二氏の解説には、「地中の埋蔵鉱物は、空の星が降って地の中で育つと信じられた時代があっ た。」
そこで北極星、つまり妙見が鉱山師の信仰を受けるようになったらしいのです。


⑬錬金術、葛洪は『抱朴子』「金丹篇」で、丹砂を加熱すると硫化水銀が還元されて水銀を生じ、水銀に硫黄を反応させるとまた丹砂に還るという循環的過程に永遠性を見出し、これを不老不死と結びつけているようです。

 なお、水銀が丹砂に還ると葛洪が述べているのは、丹砂に似た色を呈する酸化水銀への変化とも言われます。酸化水銀は、水銀を空気中で沸点近くまで熱することにより得られ、これをさらに高い温度まで加熱すると水銀と酸素に分解する。古人にはこの過程が、丹砂が水銀へ、水銀が丹砂へと何度でも変化し、元に戻るかのように観察されたと考えられます。

 金丹には水銀化合物や砒素化合物が含まれ、強い毒性があったと考えられます。煉丹術の流行により水銀や水銀化合物を服用して逆に命を縮める人が後を絶たなかったのでした。少なくとも6人の唐の皇帝が水銀中毒で死亡したことが清代の趙翼の著『二十二史箚記』巻19新旧唐書 唐諸帝多餌丹薬に述べられています。不老不死を望んでいた秦の始皇帝もそれによって死期を早めたという説もあるそうです。

 こうした事もあってか、宋代には鉱物性の丹薬を作る外丹術は衰退し、唐代より次第に重んじられるようになった内丹術が主流となっていきました。


●【内丹術】

⑭「内丹術」は、水銀を直接使用して化学的に丹を作るのではなく、天地万物の構成要素である「気」を養うことで、自己の身中に神秘的な霊薬である「内丹」を作り、身心を変容させて、道(タオ)との合一を目指す、性命を内側から鍛練する術です。

 修煉の基本原理は、身体を火を起こす炉(かまど)に見立て、「丹田」を鼎(なべ)とし、意識と呼吸をふいごにして、精・気・神(広義の気)を原料(薬物)として投入することで、内丹を作り出すことにあります。

 修煉理論は、古代から研究されてきた気の養生術を、易経の宇宙論と陰陽五行の複合的シンボリズムと中国医学の身体理論に基づき、外丹術の術語を借りて、総合してできあがったものと考えられます。

 この内丹は、身体を強健にし、生命力を高め、身心に潜在する力を開発し、不老長生、心を統御し、智慧の果を得て、運命を超克することで、道を体現することを可能とするものであります。

⇒これらの、中国の錬丹術(不死の薬を作る秘術)のテキストに説く錬金術の理論と実践は、古代の本に極めて早くから持ち込まれてきていたようです。奈良時代の知識人達は、もちろんこの事を知っていました。

 空海の時代になると、仏教 儒教 道教を学び、空海が24歳、処女作『聾瞽指帰』を書いた事は知られています。さらにそれを再編して『三教指帰』には、仏教の教えが儒教・道教・仏教の三教の中で最善であることが示されていました。

 しかし、古代からの「朱」の地に深く関わった空海は、道教的仏教色が強い密教が、修験道という「火の信仰」「呪術的信仰」を1200年経った今も日本に残しているのです。


⑮修験道の行場となったのは、そこに豊富な鉱物資源が得られた事に他ならないという訳でした。吉野・熊野そして伊勢の山間もそうでありました。「丹生」という地名や丹生神を祀る神社は、水銀鉱床があったのです。
紀伊半島は最大の辰砂の産地で、「中央構造線」を挟んで,紀伊半島には,現在でも50以上もの丹生神社が残っています。

 空海は、伊勢神宮の鬼門を守る寺「金剛證寺」や伊勢皇大神宮(伊勢神宮内宮)の祠官を世襲した荒木田氏が、天照大神にお経を捧げるために建立したと 伝わるお寺「田宮寺」を中興しています。


●【辰砂(cinnabar)と朱 (vermilion)】

 人類にとっての赤は、血液の彩であり、生命力の具現化である。地殻には多くの鉄が含まれているため、三価の鉄イオン (Fe3+) による黄色〜赤色系顔料は有史以来事欠かなかったものの、酸化鉄の赤はやや茶色くくすみ、躍動感と生命感あふれる赤とは言い難い。 そんな中で、ときおり野山に見つかる水銀硫化物の辰砂(cinnabar, HgS)の鮮やかな赤は、古くより珍重されてきた。辰砂は水銀の代表的な鉱石鉱物であり、その真っ赤な色は非常に目につきやすい。日本における辰砂採掘と水銀の利用は弥生時代から平安時代にかけて発達し、西日本では多くの鉱山が開発された。顔料としての硫化水銀は朱または丹と呼ばれ、貴重な赤色顔料だった。高松塚古墳の彩画の赤は、水銀朱によるものである。日本には古くから水銀鉱山が多く、歴史のある鉱山は和歌山、奈良および四国などの中央構造線沿いに多い。(結晶美術館より転載)

辰砂(cinnabar)-結晶美術館より

               辰砂(cinnabar)-結晶美術館より         
辰砂 (cinnabar), HgS, trig. 奈良県宇陀郡宇陀町 大和水銀鉱山.  益富地学会館標本 No. 001336,8.5 cmかなり純度の高い、鉱山操業時の辰砂標本。中央の色の濃い黒っぽい部分は結晶粒の粗い部分。左上はより結晶粒の細かい部分。辰砂は、結晶が細かくなるほどオレンジ色を帯びた「朱色」になり、結晶が大きくなると黒味を帯びる。


辰砂を探し、それを選鉱し水銀朱を採取する技能は、ある人々に代々受け継がれ、そのような人々、もしくは彼らの住む水銀を産する地は丹生(にう、にゆう)と呼ばれた。彼らは、中国もしくは朝鮮半島からの渡来人であったとも言われ、今でもその名残が地名に多く残っている。空海は弘法大師として日本の仏教史を語るうえで欠かせない人物だが、鉱産物を調査する応用地質技術に長け、辰砂や銅鉱などを四国各地から見いだした。遣唐使の経験によるものだろうか。空海による開山伝説の残っている水銀鉱山は、伊勢の水銀鉱山などをはじめとし、枚挙にいとまがない。

 水銀朱が人工的に合成できるようになると、辰砂は顔料としてよりも水銀鉱として重宝された。品位の低い鉱石を焙焼し、辰砂を熱分解し、水銀蒸気を液化させて金属水銀とした。朱を生産する場合は、この金属水銀を硫黄と強熱し、硫化水銀に戻した。中間体として得られる水銀は、アマルガム法による金メッキなどに積極的に利用された。おそらく、日本における金属製錬および化学的な単位操作で、蒸留というプロセスが最初に開発されたのは、この水銀の焙焼と捕集である。いずれにせよ、水銀は日本の歴史上では、国家的プロジェクトに必要な、大事な鉱産物であった。










                 ――◇――










    【  マイフォト 】

CA3C0194

             みたらい渓谷の秋―天川村
2018-01-23 001 039

          初瀬川土手に咲く撫子の花―桜井市(20180520)
2018-01-23 003 006

                初瀬川―桜井市
2018-01-23 001 007

             鳥見山公園の勾玉池―宇陀市   
2018-01-23 001 015

               久延彦神社展望台の夕陽②
2018-01-23 002 004

             外鎌山山頂の夕景(奈良県桜井市)       
2018-01-23 002 164

             高野山 奥の院へ(和歌山県)
2018-01-23 外鎌山登山

外鎌山(293m:桜井市忍阪)―大和三山等の展望良好!
2018-01-23 002 071

            加太港海岸夕景二月四日
2009-01-01 001 006

           初瀬川(背景には外鎌山)―桜井市
2017-12-10 001 002

              大神神社(奈良県桜井市)


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☀   雨の日には雨の中を
            風の日には風の中を  
                     歩こう。 ☽

❀  冬の樹氷 春の草花 夏の新緑 秋の紅(黄)葉 
                       四季折々の美しい輝きに癒される。 ❀

 
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《 日誌MEMO(予定&結果・感想等 ) 》 -2018年(平成30年)-


            (※二月は徐々に体調普通に戻る、仕事は後半好調に進む。NB学習不調。)
            (※三月は、体調普通。仕事やや不調。N B不調・・登山5回 )
             (※四月は、体調=普通。仕事=不調。NB微か進歩) 
                   

5月01日(火)荷受、仕事。近所W=          5900 歩。☆ (晴のち曇 )
5月02日(水) 仕事。近所W=            5100歩。 ☆ ( 雨 )
5月03日(木)仕事。W=     5800歩。   ( 雨後曇 )  
5月04日(金)荷受、仕事。W= 6300歩。☆ (晴のち曇 )
5月05日(土)明日香村サイクリング散策(3名)夕仕事。W= 21000歩。☆☆☆△ (晴 )
5月06日(日)仕事。W=               5400歩。☆ (晴のち曇 )
5月07日(月)仕事。W=             6900歩。☆ ( 雨 )
5月08日(火)荷受、仕事。W= 4800歩。▲ ( 雨 )
5月09日(水)仕事。W=              5300歩。☆ (晴のち曇 )
5月10日(木)仕事。W=     5500歩。☆(Y氏 TEL応援あり) (晴のち曇 )
5月11日(金)荷受、仕事。W= 8900歩。☆ (晴 )
5月12日(土)仕事。W= 12500歩。☆☆(晴のち曇 )
5月13日(日)仕事。W= 4600歩。 ▲ ( 雨 )  
5月14日(月)仕事。W=             5400歩。☆ (晴のち曇 )
5月15日(火)荷受、仕事。W= 10200 歩。 ☆☆(晴のち曇 )
5月16日(水)仕事。W=              5300歩。☆ (晴のち曇 )
5月17日(木)仕事。W=     6700歩。 ☆ (晴のち曇 )
5月18日(金)(荷受なし)、仕事。W= 5900歩。 ☆ ( 雨後曇 )
5月19日(土)仕事。W= 11500 歩。☆☆ ((晴のち曇 )
5月20日(日)仕事。W= 6200歩。 ☆ ((晴 )  
5月21日(月)仕事。W=             6800歩。 ☆ ((晴 )
5月22日(火)荷受、仕事。W= 12800歩。 ☆ ((晴 ) (Y氏よりS条件変更あり)
5月23日(水)仕事。W=              4900歩。 ▲ ( 雨後曇 )
5月24日(木)仕事。W=    5800歩。 ☆ ((晴 )
5月25日(金)仕事。W=    8400歩。 ☆ (晴のち曇 )
5月26日(土)仕事。W= 5100歩。 ☆ ((晴 )
5月27日(日)仕事。W= 4800歩。▲   (晴のち曇 )
5月28日(月)仕事。W=               6300歩。 ☆  ( 曇 )              
5月29日(火)<最終荷受>、仕事。W=          8800歩。 ☆  ( 曇 )        
5月30日(水)仕事。W=              5100 歩。 ☆  ( 曇 )     
5月31日(木)仕事。W=     6400歩。 ☆  ( 曇後雨)         
 
     (※五月は、体調=普通、仕事=やや回復傾向。NB不調。)                 

6月01日(金 )仕事。W=           7600歩。☆(晴)                 
6月02日(土 )仕事。W=             6900歩。☆(晴)  
6月03日(日)仕事。W=           5300歩。☆(晴のち曇)                6月04日(月 )仕事。W=    6800歩。☆(晴のち曇) 
6月05日(火 )外鎌山登山。仕事。W=      12400歩。☆☆( 曇後雨)
6月06日(水)仕事。W=             5700 歩。☆( 雨)
6月07日(木)仕事。W=         6500歩。 ☆( 曇 )
6月08日(金)仕事。W=              5900歩。☆( 曇後雨)
6月09日(土)仕事。W=         10600歩。☆☆(晴のち曇) 

6月10日(日)仕事。W=              歩。
6月11日(月)仕事。W=              歩。
6月12日(火 )仕事。W=         歩。
6月13日(水)仕事。W=              歩。
6月14日(木)仕事。W=              歩。
6月15日(金)仕事。W=              歩。
6月16日(土)仕事。W=              歩。

◆なら山遊会◆「イベント」についてー仕事等の都合でしばらくは中止と致しました。^^;再開の節は皆様またご参加宜しくです。※登山イベントアップ再開は事情にて早くて6月以降となります。どうぞ ご了解下さいませ。





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【myPFOTO】


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             久延彦神社展望台下の桜風景          
2017-09-18 001 011

               飛鳥の里ー棚田風景
2009-01-01 001 021

          大和の夕焼け空―奈良県桜井市三輪山麓より
2018-01-23 002 071

                加太湾の夕景  
 
高野山 奥之院御廟

 "高野山 奥之院御廟"